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慣れない愛想笑いで酷使した頬の筋肉が、大学に入ってから悲鳴をあげ続けている。希薄な関係を膠着したまま保ち続けている一本の糸が、このぎこちない一見笑顔に見える幻影が虚構のものだとバレてしまった途端、プツリと音を立てたと同時に、すべての均衡を無かったことにするのだろうか。

 

 今までの学校体系は、クローズドサークル、なんと言うか、閉鎖的空間のお陰って言えばいいのか、自然と人と喋れる、人と喋らなければいけない状況的空間が成立していた、だからあんまり人と喋る事に飢えることなく満たされていた毎日だった。

比べて大学といえば、どちらかと言うと今までの体系と違う開放的空間、別に友人関係なんて望まなければ作られることもない。この広いオープンワールドに着の身着のまま放たれた自分に憐れみをかける人すらいない。

 

いつの間に作られたのかもわからないグループがあちらこちらに跋扈しているのを横目に見ながら通学する毎日はもう飽き飽きだ。 何もしていないのに、なんでこっちが劣等感を抱かないといけないんだ、と、苛まれることすら少々利己的だ。何もしていないからこその何も得られない現状、「望まなければ得られない」ことは万物に適応されることを今になってようやく気づく。

 

もともと用意されていた箱庭に、自らの意思で足を運んでいるにも関わらず、垂れ流すのは文句だけ。如何なる環境にも適応できないままでいる自分が正当化される理由をずっと探している。明日こそ、明日こそ、と一歩踏み出してみようとも、誰にも気づかれないまま昇華されるであろうこの葛藤の行方を見届けて欲しく今日も誰彼かを探す。

爪痕

米津玄師の「ナンバーナイン」って曲が好きすぎて、耳と脳がそろそろブッ壊れて自律神経が機能停止したって可笑しく無いってほどに、ほぼ毎日聴き浸っている。リリースされてそろそろ1年が経つ曲で、発売日に購入したのにも関わらず、飽きず疲れず毎日よくもまあ。

 

後世に爪痕を残したいって気持ち、胸の最奥に静かに潜伏した野心が眠っている。自分の生きた証、痕跡、記録、なんだって構わない。1000年後の今日、未だ自分の名前が語り継がれる情景、想像したらワクワクする。少なくとも私は。もし1000年後、教科書に自分の名前が載っていたらって妄想、顕示欲もここまで拗らせると甚だしいなんてレベルじゃない。けれども、もし残せたら、しかも英雄扱いとかで、そんなん絶頂もんでしょ。産んだ親も鼻が高いわ。

 

何でもかんでも、ひけらかしたい時期ってのは人間いつか来るもんだ(と信じたい)。SNSにイイね稼ぎ、せっせとネタをこさえてる人種たちに同類の太鼓判を今日から押してあげよう。証明書贈呈、どうぞ。似たようなもんでしょ。程度が違うだけで。違うってんなら違う所を俺に説明してみせてくれ。このブログを書いてる俺と似た者同士、仲良く爪痕残すため頑張ろうや。

 

 

ナンバーナインの歌詞に「砂に落ちた思い出が息をしていた」ってある、衝撃だった。なんてオシャレな、洒落乙な、オシャンティな表現なんだ。これがアーティストなんだなって。何回歌詞読んだかわからん。爪痕を現世に、とか欲の化身の自分が1000年後まで語り継がれて歌なんて作られたら、こんな歌詞を書いてくれるのかしら。

 

なんでここまでこの曲、一曲だけにやけに惹かれるのかって、強く思い入れるのかって理由を手探りで探しても、なかなか見当たらない。先人が残した証や墓標がウンタラカンタラって歌、この世に星の数ほど存在してんちゃうんかと、なんでこの曲だけなんやと、疑問に思う。後世に名を残す事を歌った歌と、そして自分、血の似通った随所にどこか気の惹かれる部分があるんじゃないかと、勝手に解釈している。

当然、納得はしてなくて、今日も理由を探すためかわからないが曲を聴く。

 

 

退屈と穴埋めの装填

大学生は人生の夏休みって言葉を誰かから聞いたことあるけど、全くもってその通りだと実感しつつある毎日だ。持て余した多くの時間をなにに使おう、よりどりみどりに引く手数多のやりたい事を選びきれずにただただ時間を浪費している。

 

もともとブログを始めたのも退屈していた日々に少し彩りを持たせようと、ポッカリと空いた空虚な心を満たすために充填してみたものである。怠惰な生活を過ごしているうちに嫌気がさした結果ブログってのも可笑しな話だとは思うけれども。

 

 何を始めようかって最近いろんなことに手を出してみて、何も得られずに放り投げてしまうことが多い。始めるのが遅すぎたんだって言い聞かせて上手くならない言い訳をして自己を正当化する。その分野の世界を初めて見た時に、勝手に劣等感を抱いて、ああ俺にはやっぱ無理だ、と努力を惜しまない努力を惜しみコントローラーを手放す。

 

自分が心ゆけるものが見つかるまでひっかえとっかえ、まるで白馬の王子様という知己を求め続ける売れ残りババアだ。運命だとか、自分をわかってくれるのはあなただけだとか、甘い言葉を並べる婚活売れ残りメンヘラババアになった気分で愛を求める。

 

もういい加減、なんでもええわ、何かしら頑張ってみろよ。就活の時とか外連し続けてきた奴なんて門前払いに決まってるわ。別に何も就活のためなんだとか、将来これで飯食うんだとか、そんな煩悶なんかいらないんだ。たかが趣味一つ見つけるのにも一苦労するなんて、面倒くさい人間に育っちまったもんだ。これはもう親のせいにしよう。

 

退屈だなんだ、喚いたって誰も聞いちゃあいない。だって、なんて平和ボケした悩みなんだと、戦争体験者の目の前で言っちゃあ鉛玉を土手っ腹にぶち込まれるかもしれない。だってだって、聞いてよ。聞いてよ聞いてよ。構ってよ。こんなよくわからん悩みを読まされてる人の気にもなれよ、とか言われても耳をふさぐ。構ってよ。

 

つらつら〜と書いたけど、もうまとめれる気もしないし、やる気が起きない。退屈だから、やる時間あるでしょ?とかのやり取りも飽きた。言われても受け付けません。やる気が起きないから、あれだ、取り敢えずゴロンとしよう。 

TOEIC

8月14日 7月に実施されたTOEICの結果が発表された。もちろんこんな話をするわけだから自分も受けたわけだ。

 

そして気になる点数は〜

 

リスニング260 リーディング295の合計555点でした〜☆

テストの終わった直後は、600もしかしたらいってるかも!とか思ったり思ってなかったり、そんな期待を抱いただけにちょっぴり悔しさ残る結果だけど、まあ次頑張ればいいや。600は次回までお預けってことで、取り急ぎ。

11月まで休止

最近ネタがねえなあ〜と思い思い空を見上げてもアイデアが落ちてこない。重い腰をようやく上げて書き始めたブログもいつの間にやら最近では過去のものとなっていた。たま〜に書く頻度でネタがねえつってんだから毎日こなしてる人を本当に尊敬する。

 

まあこの度休止をするってのはネタが無いからって訳でないことにして欲しい。普通に忙しいってのもある、11月までは。言い訳っていうか、弁解っていうか、一応下書きは7.8個あるんだけど、どれもこれも納得いく出来になってないと思っている。この度はネタが無い問題じゃなく、時間が無い問題だと思ってくれたらなあって思う所存。そう思ってくれたら次休止する時の言い訳はネタが無いとして使える言い訳になるし。

 

そもそも定期的に見てくれてる変態とかほんまにおんのか、都市伝説だろとか思ってるスタンスだからこんな休止を発表するのも烏滸がましいんじゃないかって思うけど一応ってことで。とりあえずまあ勝手ながらも11月ぐらいまでブログは更新することないかな〜とか思いつつもネタが思いついたら書くんだろうけど。

サテライト

まるで社会の動き全体を見るかのように俯瞰した態度がいつの間にか身に染み付いて離れない。空から眺めた下界の景色はどんな風に映っているのだろうか、誰が見ても恥ずかしくない姿だといいのだけれど。

 

去年の何月ごろかは忘れたけど、朝井リョウ著の「何者」を読んだ。他人の分析ばかりして、いざ行動を起こした人を蔑み、出る杭を打とうとする典型的モブ主人公が就活をする話なんだけど、めっちゃ主人公に共感した。あいつ起業したらしいで、とか、あいつなんか最近変わったよなとか、自分には出来ないことをすぐ否定的に持ってゆこうとする精神、俺は違う、俺はそんな感情抱いてないしとか言い聞かせながら読み進めるが、やっぱり主人公と重なる部分が多々ありギクリとさせられる部分があった。

 

 俺には関係ないと、他人行儀を演じ続ける人生も悪くないだろうけど、それでいいのかと自問自答。街中で困っている人を知らんフリ、もしくは笑い者にすらしようとツイートする。それじゃあいつまで経ってもモブのまま。別にモブでもいいんだけど、人間として面白みのない味気のない、噛んでもなんの味も歯応えもしない人になってしまっていいのかって、焦りもする。

 

逆に俯瞰した態度が笑われて後ろ指さされる時代が来たら、みんな自主的に積極的に行動できるんじゃないかって、自分が何もしないのを時代と世間のせいにするけど、それは違うってのもわかってる。だからこそ、能動的に行動できるうえ、何かを志す人を心から敬える人間を心底羨ましいと思ってしまう。そんな人間になりたいと思った時に、後ろ指さされてるんじゃないかって疑心暗鬼になってしまうままでは遠い未来だ。

 

 

バトン

いつの日だったかもう忘れたけど、近所のスーパーが潰れた。もう何年も利用してなかったから特に何も気にする事はなかったが、その跡地をふと通りがかった時に、得体も知れぬ虚無感に襲われたのを覚えている。

 

 それとは対照的に、できたのも既に最近ではないが、よく利用する近所のコンビニの存在が次第に日常的なものと化していった。それと同時に、コンビニができた当初に抱いた便利だなあと感じる有り難みに近い感情が薄れてゆくのを憶える。

 

街中でもなんでも、損なわれた景観や情景がいつしか、それが当たり前になって、日々を過ごしてゆく。なんでもかんでも、元来そこにあったものじゃないんだって、そしていつかは消えゆく儚いものなんだって、失ってからいつも気づく。

 

消え逝ったものからどんな恩賞を受けたか、何を手渡されたかという気持ちが心を感傷的にさせる、と同時に、なんでもいい、なんだっていいから自分にも後世に伝えられるような何かを現世へ置き土産として残して消え去りたいと思えた。

 

消えいったものの価値に失ってから気づいてたら遅いんだ。それがなくなった時に、格式ばった刹那的な叙情感に襲われ、何も解決しないまんま忘れ去られた存在が過去のものになるのをただ眺めるだけ。僕らは退廃した瓦礫の山の上をいつも歩いているんだってことを忘れがちだ。

 

身の回りにきっと次の世代に手渡して欲しくて何かを訴えかけているものがきっとある。その存在に気づいて、後世に語り継ぐ語り部として役割を果たすことこそが、今を生きる自分の役目かもしれない。そうやって遠い過去と遠い未来を紡いでいけたらと思う。