バトン

いつの日だったかもう忘れたけど、近所のスーパーが潰れた。もう何年も利用してなかったから特に何も気にする事はなかったが、その跡地をふと通りがかった時に、得体も知れぬ虚無感に襲われたのを覚えている。

 

 それとは対照的に、できたのも既に最近ではないが、よく利用する近所のコンビニの存在が次第に日常的なものと化していった。それと同時に、コンビニができた当初に抱いた便利だなあと感じる有り難みに近い感情が薄れてゆくのを憶える。

 

街中でもなんでも、損なわれた景観や情景がいつしか、それが当たり前になって、日々を過ごしてゆく。なんでもかんでも、元来そこにあったものじゃないんだって、そしていつかは消えゆく儚いものなんだって、失ってからいつも気づく。

 

消え逝ったものからどんな恩賞を受けたか、何を手渡されたかという気持ちが心を感傷的にさせる、と同時に、なんでもいい、なんだっていいから自分にも後世に伝えられるような何かを現世へ置き土産として残して消え去りたいと思えた。

 

消えいったものの価値に失ってから気づいてたら遅いんだ。それがなくなった時に、格式ばった刹那的な叙情感に襲われ、何も解決しないまんま忘れ去られた存在が過去のものになるのをただ眺めるだけ。僕らは退廃した瓦礫の山の上をいつも歩いているんだってことを忘れがちだ。

 

身の回りにきっと次の世代に手渡して欲しくて何かを訴えかけているものがきっとある。その存在に気づいて、後世に語り継ぐ語り部として役割を果たすことこそが、今を生きる自分の役目かもしれない。そうやって遠い過去と遠い未来を紡いでいけたらと思う。