タイムリープ

今流行りのJ-POPやらなんやらで部屋の壁を律動させながら1人ポツンとビールでもチビチビ飲んで酒気を帯びたまま小説を片手にパラパラとページをめくる。時の流れは既にポケットの中にクシャクシャに丸め込んで、朝が訪れると同時にポケットの中から憎いほど陽気に顔を出す。それが小さな幸せであると程々の自覚があるからこそ、やめられない止まらない改善の兆しは現状ない。

 

時の流れが嫌というほど憎い。早く大人になりたいと願っていたあの時には気づけない、幼少時代の大切なあの時間はどれほど天に手を仰いだって返ってはこない。努力が足りなかったと気づかされ嘆く毎日の今だからこそ、幼い頃に人格や能力を養成しておけばと歯ぎしりしすぎて歯並びが曲線の波を打つ。追いかけっこやドッジボールをして潰した時間の数々は、今もなお還元されずに秘蔵なものとして、どこか身体の底の方に埃被って深く眠りについている。

 

だからといって自分にもし子供ができた時に、何が正しいかって、将来何をするべきかって、んな判断力すら養ってない、人格すらも形成過程の途中って幼少期に、例えば「英語力を養うべきだ!」って子供に叩きつけて、本当に子供がやりたいと思う意を蔑ろにして無理くり英会話スクールに通わすなんてことしたくないよなあ。それじゃあ父親の後悔を全て押し付けたただのモルモット、お父さんの期待に応えまいと重圧を背負ったモルモットの背中を見つめて満足する大人にはなりたくない。自分の思いや意見を押しつぶされ、親の理想を描いただけの操り人形は一体何を思う。

 

 サカナクションのボーカル山口一郎が言っていた。18歳までの体感速度と18歳から定年(80歳だったかもしれない)までの体感速度は一緒らしいと。あぁ嫌だ嫌だ。実質もう人生の半分を通り過ぎてしまったわけだ。その事実から今もなお目を背けようと必死に虚空を眺めては朝が訪れる。朝が訪れると共に襲われる自責の念に駆られては、一度は伺う反省の色。喉元を過ぎれば熱さを忘れるらしい。時間は有限と知りながら朝を待つ直人は今日も時が過ぎるのを眺めるだけ。