アクアリウム

魚。自分の心を言い表すには十分過ぎる表現だ。私のアクアリウムにはどんな魚が居て、どんな水草、石、エアレーション、そして澱。毎日のように正負関係無くエサという名の出来事が身体に入り込む。そのエサがきっと体内の魚に影響を与えては、掻き乱す。揺れ動く心情の終着点に一喜一憂する私たち。大団円で終わって欲しいのは人間のサガ。負ばかりが取り込まれれば、いつかは息が詰まり、生が途絶えてしまうのではと危惧してしまう。杞憂だったねと言える日はいつ訪れるのか。

 

最近あれですね、日大がホットな話題になってますね。宮川選手は同い年やから、なんかこう頑張って欲しいって思うよね。応援してしまう。周りが何を言おうと無視して、自分が正しいと思う道へと進んで欲しい、彼には。

タックルしてしまった宮川君も悪いとも思うけれども、もしもタックルしていなかったら、とか考えると、それはそれでひどく末恐ろしい未来になっていたかもとかも思ってしまう、その時点で一概に加害者って言えないんじゃないかって。そのような(タックルするしかない)状況を作り上げた、誰かも悪いんじゃないかって。まあ結果的にタックルしてんだから彼も悪い、とか言う奴〜、絶対文化部。運動部に所属したことないと思うわ。別に文化部さんを批判するわけじゃないけど、実際自分がその状況下に置かれた時、どんな行動を取れるのか是非見たいもんだよね。

 

日大の件関係なく、外野っていっつもうるさいですね。当事者でもないのにガヤガヤと、みんな暇なんだなあと思う。まあ俺もそのうちの1人なんだけど。そんなに人を非難、悲観できるほどいつから偉くなれたんだ。自分の心配すらできない人間がどうしてこうも人にあれこれ口出しできるのか謎。これもブーメランだけれども。

 

いつから人を非難できるようになるんだろうね。あいつはアホやなとか、君はそういうとこがダメなんだよとか、世の中に蔓延った、最早一種の定型文と化した蔑みや批評の言葉が当たり前に飛び交っている毎日。当然、俺も思うことは思う時はあるけどね、あいつはここはダメだ、とか。それを言っていいのかどうかわからない、最近の悩み。非難できるほどの人間なのか私は。

 

それでも言わないのも間違ってるとも思う。本当の思いを閉ざしたまんま、友達はその悪い部分の改善がされないまんま、そんな付き合いに意味があるのだろうか。口出しして友人関係に多少の軋轢は生まれるだろうなあ。寛容できるって決めつけるのはいつも言う側だからなあ。言われる側はたまったもんじゃない、と思うよ。言い合うことができて、お互い切磋琢磨できるのがホンモノの関係なんだろうなあと思う。

 

友達の悪い部分に目を当てないよう目を塞ぐけれども、それでもいつも私の魚を掻き乱すんだ。ならいっそ言ってしまえば楽になるってのも、自分のエゴ。楽になるのは自分だけだからね。利己的に友達を動かしたいだけのように見えてしまう。会うたびに澱が蓄積して、いつかは私のアクアリウムを埋め尽くすんじゃあないかって、そんな心配もする頃には疎遠になっていることを願うばかり。まあそこまで鬱積はしないだろうと思う(願う)けれども、どちらか先に支障をきたす前に、直接的被害を被る前に、言っておけばとならないように、お互い正しい選択をするべきだなあと思う。

まあそんなこんな言っている間にも、とやかく言われてんだろうなって思う。外野は黙ってろ。この強気な姿勢で言ってみよか、いや無理やわ。